AIとの共存について(その4)
コラム 2019.09.24以前のコラムでイーロン・マスク氏がAI(人工知能)に対抗するには人間がサイボーグ化するしかないと言われたことを紹介しましたが、同氏は「皆さん気づいてないかもしれませんが日頃スマホを使っていることで既にサイボーグ化しているのですよ」とも言われました。この発言には目から鱗が落ちるような思いをしました。スマホは身体と一体化はしていませんが、一日の多くの時間スマホを保持し、そこからたくさんの情報を取得し、また計算なども行っています。自分自身もそうなのですが、電車の中でスマホを使っている人たちを見て、確かにサイボーグ化しているかもしれないと思い、不思議な感覚に包まれました。
それから、AIロボットが台頭してきた場合にA型とB型というロボットがいたとしてそれらの関係性について考えたりもしています。ロボットは発展段階において様々なビッグデータを学習するわけですが、「君はどのビッグデータを勉強してきた?僕はこれとこれを勉強してきたよ」と言ったようにロボット同士確認し合うようなことが将来起きるのではないかと思うのです。そして、同じビッグデータを学習してきたと分かれば人間同士のように仲間意識が芽生えるかもしれません。
上記のように、AIとの共存についてとしつつも高度なことは考えていないのですが、本格的なサイボーグ化には抵抗がありますし、必要になったらなるべく優秀なAIロボットに支援を受けたいと思っています。そうなるまでの間は、すなわち人間の知性に近づくとされる汎用型人工知能AGI(Artificial General Intelligence)の開発が成功するまでの間は、人間がAIに対して教師的役割を果たすこともあります。その場合には人間がAIを支援するのですが、しばらくの間は各分野の専門家たちにはAIの教師という仕事もありそうです。
ところで「人には数秒程度の未来を予知する能力が備わっており、時間的に連続な音楽を楽しむことが出来るのはその能力のおかげだ」という話もあるようですが、このような超能力的なことが果たしてAGIに出来るのだろうかと考えたとき、いくら優秀な人口知能でも本質的に人間を超えるのはやっぱり無理なのではと思えてきます。
(証)